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2011-09-08

日本のマスコミの嘘 ー 報道の本質とかけ離れた「えくぼ記事」の害悪 

マスコミは泣きじゃくる被災者に堂々と取材せよ
報道の本質とかけ離れた「えくぼ記事」の害悪

2011.09.07(水)  烏賀陽 弘道 JB Pressより抜粋

えくぼ記事に見られる4つのパターン

 25年も前の些細な逸話を持ちだしたのは他でもない。3.11報道を見ていると私がかつて新人の頃に書いていた「えくぼ記事」そっくりの記事が連日紙面を埋めているからだ。

 4月1日の本欄で、3.11報道の「美談記事」はほぼすべての発想が定形化されていることを書いた。またその「物語」のパターンも列挙しておいた。「えくぼ記事」はこうした美談記事のサブジャンルと言ってもかまわない。

 例えば、以下は、今日この原稿を書いている8月24日の朝日、読売、毎日の朝刊紙面である。見事にえくぼ記事が並んでいる。

20110908_2

<左から朝日、読売、毎日の紙面。いずれも8月24日朝刊。>

えくぼ記事のパターンはだいたいこうだ。

(1)ポジティブな物語、(2)笑顔の写真、(3)復興あるいは回復の物語のセットである。

 そして、(4)としてもう1つの重要な要素は「悲嘆」「憂鬱」「不安」「憎悪」「対立」「離別」「離散」「絶望」など「負の人間的要素」を一切消去してあることだ。

 私は実際に岩手県や福島県の被災地を取材して歩いたので、こうした「えくぼ記事」がいかに人間の「矛盾」「奥の深さ」「不可解さ」に無頓着かすぐに分かる。

書かれているのは「消毒された現実

 こうした現実を踏まえて「えくぼ記事」を見返してほしい。まったく顔から火の出るような恥ずかしい、おめでたい話ばかりだ。まるで中学の生徒会長が書いた作文のように世間知らずな内容である。

 こうした話は単純かつ単調で、まったく奥行きがない。人間の複雑さ、多面性、矛盾した面をまったく消去してしまっているからだ。

 人間の現実は、正のこともあれば負のこともある。希望や不屈があれば憎悪やズルや悪さがある。その人間の現実から「正」の側面だけ取り出すから、報道はどんどんリアリティーを失い、中学生の生徒会活動のような子供じみた記事が増殖する。

 書いてあることはウソではない。が現実でもない。「被災者はこうあってほしい」「復興はこうあってほしい」という「願望」であって、現実ではない。これは意図的に現実の一部を消去した「編集された現実」である。あるいは「消毒された現実」と言ってもいいだろう。

 誰の「願望」なのか。もちろん被災者の願望でもあるだろう。被災しなかった読者でもあるだろう。そして記者がそれらを先回りして忖度した「願望」でもあるだろう。これはかつて同じような「えくぼ記事」を書いていた身としてはよく分かる。「書かれた取材対象者が喜んでくれる」「記事を見て被災者が励まされる」という記者や新聞社の期待もある。もっと言えば「被災者を励ますような記事を書いて掲載すれば、社会が記者や新聞を賞賛してくれる」という「願望」もある

しかし、これはおかしな話だ。報道の目的は事実を伝えることであって、励ますことではない。取材によって現実を修正してはいけない。してはならない、とまで言えないなら、少なくともそれを目的にしてはいけない。

 こうした「えくぼ記事」は報道が現実に関与し、修正してしまっている。「取材対象に当事者として関与してはいけない」という「独立の原則」を逸脱しているのだ。 

 3.11報道から消去されている「人間の負の現実」の最大の要素は「なぜこんなに大量の人が死んだのか」である。なぜ逃げ遅れたのか。地震で倒壊した建物で圧死したのか。津波で溺死したのか。

 ダイヤモンド・オンラインが検死医(高木徹也・杏林大学准教授)にインタビューしてこの答えを出している。

 これはいい記事だ。死体の検死結果から、なぜ逃げ遅れたのか、どんな人が犠牲になったのか、どうして犠牲になったのか、などが克明に分かる。津波の犠牲者たちの「次は私たちのようにならないでくれ」という「遺言」=「教訓」が学べるのだ。

 95年の阪神・淡路大震災では、検死医に取材して、犠牲者の死因の8割が焼死ではなく圧死であることが記事になっていた。倒壊した建物の下敷きになったのだ。神戸市長田区の商店街が爆撃のように炎上する写真を見慣れていた私には、これは意外な報告だった。

 「犠牲者の多くは木造家屋の1階で寝ていて、そのまま下敷きになった」「2階にいた人は死なずに済んだ」などの記事を読んで、老朽家屋の1階から2階へ寝室を移した人が多かった。

 3.11報道では、こうした「死因の検証」すら忘れ去られている。本来は、えくぼ記事に投入されている記者を、手分けして死体の検死をした医師の取材に回らせるべきだったのだ(マヌケだが、今からでも遅くない)。

経験が浅い記者でもどんどん書いて紙面を埋められる

 なぜえくぼ記事のような「おめでたい話」が被災地の「現実」として毎日掲載されるのか。

 1つは、ラクだからである。笑顔の写真を撮る。名前や年齢を聞く。話を聞いてそれをカギカッコでくるむ。つまり全文が「被取材がこう言った」内容であり、記者が責任を負う地の文がない。せいぜい1時間もあれば終わる取材だろう。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/21018 JB Pressより抜粋

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